2018年1月13日土曜日

快慶展⑤(西方寺の阿弥陀如来)

昨年の快慶展では通常非公開な仏像も多数展示され代表格は京都遣仰院の
阿弥陀如来だろう。ここで紹介する快慶三尺阿弥陀の名作西方寺の阿弥陀如来も三重新大仏寺や奈良長谷寺など快慶ゆかりの寺院に近い桜の美しい山添村の人々によって今日まで護られてきた。多摩美大の青木先生によると緊張感と穏やかさをたたえたその表情は遣仰院阿弥陀如来像とともに若き日の快慶の代表作である。快慶展で三尺阿弥陀だけの若き日から晩年の写真を並べたクリアファイルを購入したが、この西方寺のあと幾分ふくよかさがなくなっていくが金泥塗など快慶お得意の着衣表現により進化していったと思う。展覧会の最後のコーナーでこのような名仏に出会うことができ最後まで飽きさせない展示にここちよい疲れを感じて会場をあとにした。

2018年1月7日日曜日

運慶展⑧興福寺北円堂の四天王

昨年開催された「運慶展」で画期的な展示は何といっても興福寺北円堂の
無著・世親像の周りに興福寺南円堂安置の四天王像を配したところだろう。以前はこの四天王は東金堂に安置され、慶派一門の定慶作とする説があったが、金沢文庫の仏の瀬谷さんが北円堂安置説を唱えるようになり、今ではほぼ運慶指導のもと四人の息子たちが製作したことが定説化されつつある。瀬谷さん解説の芸術新潮「オールアバウト運慶」によると彼が着目したのが本来黒又は濃い青でぬられるべき多聞天の肌が白いことだった。そこで改めて着目したのが、北円堂再建に関与した解脱上人貞慶の存在。平成24年に金沢文庫で開催された解脱上人貞慶展の展示解説を仏の瀬谷さんから直接聞いたとき上人が弥勒信仰の持ち主だということを熱く語っていたが、「オールアバウト運慶」では篤い舎利信仰の持ち主で舎利の色として「白玉色」を強く意識していたことがわかったとのこと。宝塔を頭上に高々と掲げた多聞天のポーズも宝塔=舎利容器と考えれば腑に落ち、北円堂の諸像には、舎利信仰を称賛するための一貫した演出が施されているとの瀬谷さんの解説だった。確かにこの説は納得できるものであり私も彼の主張に耳を傾けざるおえないと感じた。ここに新たな運慶作の発見を感じつつ第一会場をあとにした。

2018年1月1日月曜日

金剛輪寺の大黒天

昨年の秋の京都滋賀旅行の2日目、西明寺の次に愛のりタクシーで向かった
のが金剛輪寺だ。旅行前にネットでお寺情報を調べていたところ、関西系のテレビニュースで金剛輪寺の紅葉が見頃と大黒天御開帳が取り上げられていて、実にラッキーなタイミングでの拝観となった。愛のりタクシーを降りて長い石畳が敷かれた石段を上ると、いま盛りの紅葉でいっぱいの境内に入った。特にニュースで言っていた「血染めの紅葉」は本堂横の真っ赤な楓を指すようで素晴らしかった。興奮を抑えつつ本堂にあがった。お目当ての大黒天は小さな厨子の中に祀られていた。像高74センチ余りで、平安時代の一木造りで日本最古の大黒天とのこと。鎌倉長谷寺で見る大黒天のように打出の小槌は持たず、甲冑を身に着け宝杵(ほうしょ)を持ちいかめしい表情を浮かべている。大黒天はヒンズー教のシヴァ神の化身を仏教に取り入れたものだから日本に伝わったのも当初はこのかたちだったのだろう。昼食に「僧兵うどん」を食べて金剛輪寺をあとにした。

2017年12月29日金曜日

快慶展④清水寺奥の院の千手観音

見仏記には京都清水寺奥の院の平成15年の6月の243年ぶりの御開帳の様子
が書かれていたが、毎年秋に京都を訪れている私は一生見れないものとあきらめていた。なんと今年の春開催された「快慶展」では出展されておりきしくも出会うことができた。展覧会会場の入ってすぐのコーナーで、快慶仏にまじってひっそりと展示されていた。千手観音は三面ある上、頭上に二十五面を載せている。手はもちろん体のあちこちから伸びて法具を持ち、光背にも化仏が分散している。図録によると平面的な顔立ちが先に紹介した遣迎院阿弥陀如来に似ており快慶無位時代の作風に通じるとみており、私も墨書の記載はないものの快慶作に間違いないと確信した。まだまだすばらしい快慶仏が待っているので次の展示に向かった。

2017年12月23日土曜日

精華町常念寺の聖観音

この秋の「京都非公開文化財特別公開」の目玉は南山城の仏たちだと朝日
新聞の記事に載っていた。一度見ているものは少なく多くははじめて聞く仏像だった。そのなかに「神奈川仏教研究所」のサイトで見かけた精華町常念寺の聖観音が入っていた。これは出かけないわけにはいかなくなり、京都につくや、まっすぐに精華町に向かった。朝日新聞の「京都非公開文化財特別公開」の特集記事で関ジャニ∞の丸山さんが訪ねる記事が載っており、いやがうえにも期待が高まった。朝早いせいか、参拝客もまばらながら「南山城古寺の会」のボランティアの方々の熱心な説明が始まっていた。本堂で写真で説明を受けてから別棟の薬師堂での拝観となった。像高170センチの平安時代前期の一木造り。以前は薬師菩薩として祀られて、関ジャニ∞の丸山さんがもって朝日新聞に載っていた江戸期の薬壺は見ることができなかったが、朝日新聞で対応されたご住職が「平安前期に神仏習合の思想の中で、神様を如来ではなく菩薩として表した貴重な作例です」との記載があった。私が神護寺の薬師如来をはじめとしてずっと追ってきた貞観仏のながれの作風の仏像に出会えて幸先よく次のお寺に向かった。