2014年12月29日月曜日

勝持寺の薬師如来

2014年11月の京都旅行で願徳寺の菩薩半跏像との対面を果たしたあと向っ
たのが勝持寺だった。こちらも紅葉の時期にはまだ早かったので、すいておりゆっくりと仏像を鑑賞できた。タクシーの運転手と宝物殿である瑠璃光殿に向った。正面中央に鎌倉時代の薬師如来が鎮座しており、右手で薬をつまむようなポーズが印象的だ。印相も特徴的で、腕前の右手と膝上の左手は、共に親指と中指をつける珍しい印相をしており、5本の指をのばした通常の薬師如来と異なる姿だった。他にも以前は仁王門にあったが、現在は瑠璃光殿に展示されている3メートルの金剛力士や本尊の胎内仏の10センチ足らずの白檀製の薬師如来など見所が多い。ここ勝持寺は西行の足跡が残る花の寺で、春は桜、秋は紅葉で有名なお寺とのタクシーの運転手の解説だった。庭で写真をとり、紅葉が綺麗な善峯寺へと向った。

2014年12月27日土曜日

四国遍路と土佐のほとけ展①

今週の日曜日に多摩センターにある多摩美術大学美術館に「祈りの道へー四
国遍路と土佐のほとけ」展を見に出かけた。以前NHKの「にっぽん心の仏像」という番組で紹介された高知県大豊町の「笑い地蔵」や須崎市笹野大日堂の大日如来が展示されるとのことで自宅から1時間かけて出かけた。日曜日だが会場にはほとんど来場者がいないため、ゆっくりと鑑賞できた。一階は考古品や四国遍路の展示が多いと聞いていたので、迷わず2階から拝観した。この展覧会は現在多摩美大の准教授である青木氏が企画した展覧会で高知の大学時代に調査した多くの仏像を集めたユニークな展覧会だ。ほとんど顔が判別できない天部像の奥にお目当ての湛慶工房の大日如来があった。化仏がかわいい十一面観音や笑い地蔵なども展示されていた。どのほとけもやさしいお顔をして、癒された。私は久しぶりに幸せな気分になり入り口で図録やポスターを購入して美術館をあとにした。

2014年12月20日土曜日

三井寺仏像の美展②脱活乾漆の釈迦如来

今回の「三井寺仏像の美」展で私が1番目をひいたのが、ポスターや図録で大き
く取り上げあられている不動明王ではなく、室町時代の脱活乾漆の釈迦如来だった。ひと目見て今年重文の指定を受けた静岡方広寺の釈迦如来を思いだした。こちらの仏像もおそらく室町時代に活躍した院派仏師の作にと思われる。特徴としては若干離れ目であらわされており、図録によると中国・朝鮮の仏像において脱活乾漆が再評価されたためだという。肩に残る盛り上げ彩色がすばらしく運転手と二人で見入ってしまった。図録によると盛り上げ彩色は型があるのではなく、ひとつひとつ手作りとのこと。いつまでも見入っていたいが次の作品をみるためその場をあとにした。

2014年12月14日日曜日

神武寺の薬師如来

本日(12月13日)は逗子の神武寺の煤(すす)払いの日だ。普段秘仏で33年に
一度しか御開帳がない秘仏の薬師如来が午前中のみ法要に参加すると拝観できるという日になっている。仏像クラブの面々で今年の納めの見仏会にふさわしいので出かけた。京急逗子線の神武寺駅でおり、江戸時代の像高2メートル半の阿弥陀如来像を拝観してから、山道を神武寺へ向う。神武寺は行基開創で慈覚大師円仁が中興したといわれる古刹で鎌倉三代将軍実朝が参拝した記録がある。本堂に向うと法要が始まっており、本堂の中に入り神妙に読経を聞きながら法要に参加した。長い読経が終わった後、薬師如来を近くで拝観することができた。本尊の薬師如来は行基の作と伝えられているが、頭髪は螺髪(らほつ)ではなく、縄目上のきざみが彫られていおり、めずらしい形状をみせている。仏像クラブの面々は薬師如来の優しいお顔つきに感動したようだ。その後行われた忘年会でそのことをおおいに語り合った仏像クラブの面々だった。

2014年12月6日土曜日

日本国宝展①

今週の日曜日に東博で開催中の「日本国宝展」に出かけた。10月から開催中
の「日本国宝展」だが、国宝の土偶5点や興福寺東金堂の多聞天が出揃うのは11月下旬となるため、この時期の訪問となった。以前から聞いていたがものすごい人手で、入場にも40分かかり会場も多くの人でごった返していた。入ってすぐの玉虫厨子の周りはものすごい人で、玉虫の羽も落ち着いてみられなかった。会場を進むにつれ人ごみも落ち着いてきて、「極楽へのポイントカード」の「扇面法華経冊子」や載金(きりがね)がすばらしい平安時代の仏画などが鑑賞できた。中でも圧巻だったのが国宝土偶5体の展示で、全長45センチの「縄文の女神」を筆頭に「合掌土偶」「中空土偶」「仮面の女神」「縄文のビーナス」がそれぞれガラスケースに収まっておりじっくり鑑賞できた。金印や支倉常長像を見て最後にたどり着いたのが仏像のコーナーである「第五章仏のすがた」の展示室で阿部文殊院の善財童子や三千院の観音・勢至菩薩、法隆寺の四天王があり、中でも見ごたえがあったのが、興福寺東金堂の多聞天で普段お寺のうす暗いお堂の中でみるより照明があたり力強い印象を受けた。最後にグッズのコーナーでクリアファイルや「土偶ガチャ」を購入して会場をあとにした。

2014年11月29日土曜日

法金剛院の阿弥陀如来

京博の喧騒を抜けて、JR嵯峨野線花園駅近くの法金剛院に向った。ここは鳥
羽上皇の中宮である待賢門院が復興したお寺だ。鳥羽上皇の寵愛を受けた待賢門院であったが、晩年は他の女院に寵愛を奪われ、さびしい晩年をすごしたようだ。待賢門院が発案者となったのがこの阿弥陀如来だ。ほとんど人が居ない仏殿の中央の大きな阿弥陀如来と対峙した。華美な光背に楽器を持った天女たちが踊っていた。阿弥陀が座る蓮の花の一枚ずつには、細かい飾りが彫られている。阿弥陀の体に、金箔の残りがまるで溶けるようについていて、それが光背の一面の金との間に美しいコントラストを作っていた。華やかさの中にはかなさを感じる。隣の十二天の絵がある厨子の中に座す十一面を見て次のお寺に向った。



2014年11月22日土曜日

三井寺仏像の美展①

今回の京都・滋賀の旅行では当初、「三井寺仏像の美展」を拝観する予定だっ
たが、急遽京博の「京へのいざない」展を拝観することになり一旦スケジュールからはずした。しかし実際に回ってみると、思ったより早く回れて時間が余ってしまった。そこで急遽タイクシーの運転手に大津市歴史博物館に向ってもらうことになった。この展覧会は三井寺とその関連するお寺の仏像が多数展示され、有名な仏像ではないが、なかなかユニークな仏像が多数展示されているので、注目していた展覧会だった。運慶の静岡願成就院の毘沙門天に似た慶派の毘沙門天や鎌倉明王院の肥後定慶作不動明王に似た不動明王や珍しい室町時代の脱活乾漆の宝冠釈迦如来など円珍生誕1200年記念にふさわしい展覧会だった。作品にひとつひとつ大津市歴史博物館の学芸員のキャッチフレーズが書かれているなど展示にも工夫があり十分に楽しめた。この大津市歴史博物館はかねてより、ユニークな展覧会を開催しており注目していた博物館だ。今後機会があればまた訪れようと思った。

2014年11月15日土曜日

延暦寺横川中堂の聖観音

今回の京都・近江の旅では、比叡山延暦寺に行こうと決めていた。その訳は「神
仏います近江」のサイトを見てから憧れていた、横川中堂の聖観音に会いに行くのが目的だった。聖観音は平安時代後期の作で、像高170センチ、左手につぼみの蓮華を持ち、右手の親指・人差し指をまげて花びらを開く姿勢は、平安時代後期に多く造られた仏像の形だ。京都から坂本に向かい、霧の中をロープーウェーであがり、比叡山内シャトルバスに乗って横川中堂に向う。慈覚大師円仁によって開かれた赤色のお堂が見えてきた。静かなお堂の中にガラス張りの厨子があり、その中にお目当ての聖観音が祀られていた。参拝客用に厨子に照明がついており、お堂の中でもよく拝むことができた。思ったより大きいと感じた。比叡山延暦寺はたしか信長の焼き討ちにあい全山消失したと記憶していたが、よく調べてみると横川中堂口を担当したのが豊臣秀吉で、信長の命にそむき寺や僧を逃がしたとのこと。それでこの聖観音も今に伝えられたのだろう。いつまでも居たかったが、東塔(とうどう)に戻るバスの時間もありお堂を後にした。

2014年11月8日土曜日

金剛寺の大日如来・不動明王

今回の京都の旅で急遽拝観を決めたのが、京都国立博物館平成知新館の
彫刻展示室だ。以前、奈良博で大阪南河内の古刹、金剛寺の降三世明王を鑑賞したが京博開催の「京へのいざない展」では、大日如来と不動明王が期間限定の特別出展されるためだ。金剛寺は以前訪れた秘仏如意輪観音で有名な河内長野市の観心寺の近くにあるが、平安時代の大日と鎌倉時代の不動明王・降三世明王が写真で見ると損傷が激しく魅力を感じなかったため訪れなかったが、今回京博の修復が終わり展示されとのこと。ひそかに期待していた。彫刻展示室に向うと真新しい吹き抜け空間に大日如来と不動明王が露出展示されたいた。大日如来は像高3メートルでかなり迫力があり、光背も綺麗に修復されていた。鎌倉時代の不動明王は顔が崩れかけていたものが真新しい仏像のように修復されたいた。京博の修復技術はすばらしく仏像がよみがえったようだ。不動明王は快慶の弟子行快の銘が発見され、仏師が特定された仏像だ。光明寺の千手観音など他にも見るべき仏像は多く、また来たいと感じた京博だった。後ろ髪を引かれる思いで次のお寺に向った。

2014年11月2日日曜日

盛安寺の十一面観音

京都近江の旅二日目は近江の仏像探訪だ。午前中比叡山を見て、西教寺を拝観してから、盛安寺にタクシーで向かった。ここは10月までのご開帳なので、他のお寺を予定していたが、法事のため行けなくなり、ダメもとで電話したところ、窓越しなら拝観可能とのこと。急きょ行くことに決まったお寺だ。行くと収蔵庫の外の扉は開いており、電灯がつけてあった。中に十一面観音や聖観音が祀られていた。かの白州正子が絶賛した十一面観音で。珍しい四臂(よんぴ)の像で、目を閉じて穏やかな顔で二手を合わす姿が慎ましい。隣りの聖観音もかなりの美仏だ。その場を離れたくない思いに駆られながら、次のお寺に向かった。

2014年11月1日土曜日

願徳寺の菩薩半跏像

本日から京都と近江の仏像探訪の旅に出掛けた。今日は朝から京都を巡った。本日の目玉は、私が何年も前から憧れていた、願徳寺の菩薩半跏像だ。タクシーで向かうと、住職が受け付けてくれたが、本堂には一人で入った。仏像好きな私の顔を見て、本尊と2人っきりにしてくれた配慮だったのだろう。住職の指示の通り三つのスイッチを押すと次々と灯りがつき、最後に厨子の中に灯りがつく仕掛けだ。異国風な顔だちや流れる天衣が美しい。いわゆる風がなびく様を見せる風動表現だしばらく見とれてしまい、私は厨子の前に一人佇んだ。

2014年10月25日土曜日

高野山の名宝展③

高野山の名宝展第一会場の最後を飾るのが快慶作四天王だ。高野山霊宝館で
一度は見ているが、うす暗くよく見えなかったが、今回は「奈良・国宝室生寺の仏たち」展で照明を担当した空間デザイナー池田氏の展示とのこと。期待が高まった。LED照明だろうか、四天王のそれぞれの動きを照明で影を移す事により際立たせている。1番左端にある広目天が快慶が直接担当した像で、抜群の出来で、彫が鋭く、衣文構成が緊密で肩喰も精細に富む。左端にあることで横からもよく見え、露出展示の効果抜群である。他の四天王も快慶風を示すとみてよいが、広目天に比べればやや手がおちる。U案内人もやはり広目天が1番よいと言っていたので、おそらくその他は快慶工房の弟子の製作であろう。その後この四天王が東大寺大仏殿の四天王の雛形となるが、雛形は広目天のみで、運慶やその他の仏師が雛形を引き取ったのち、新たに快慶一門で製作されたという説が自然だと思う。広目天から今はなき四天王に思いを馳せ、第二会場へ向った。

2014年10月17日金曜日

高野山の名宝展②

高野山の名宝展で、平成23年に高野山で出会った快慶作の執金剛神立像に
再会した。まず驚いたのが高野山霊宝館では、右足の支えの棒があり不自然さを感じたが、今回奈良国立博物館の解体修理により左足と金剛杖のみで自立していたことだ。支えの棒があるので快慶らしくないと感じていた。しかし平成23年秋に快慶作と判明し、近頃施主が東大寺復興を成し遂げた重源(ちょうげん)上人との文書が内部から発見されニュースにもなった。今回の展示を見て改めて快慶作と確信した。今回はガラスケースなしの露出展示のため写真では判りにくい部分まで細かくみれた。全身を支える片足には、力強い血管が浮き出た表現がされ、足先をまげ踏ん張っている。快慶が唐から請来した仏画を忠実に再現し、快慶独自のリアリズムを超えた表現を木彫仏で表したことは驚きだ。今回の展覧会では運慶・快慶の表現力にやられっぱなしだったが、まずこの執金剛神立像で一発やられたという感じだった。離れがたい気持ちを抑えて第二展示会場に降りて行った。

2014年10月12日日曜日

高野山の名宝展①

本日(10月11日)より六本木のサントリー美術館で「高野山の名宝展」が開催さ
れるので、仏像クラブで出かけた。午後3時に集合したため会場の混雑は一段落しており、ゆっくりと鑑賞できた。来年が高野山開創1200年にあたり、弘法大師空海が唐より請来した仏像や平安時代の仏像も展示されていたが、なんと言っても圧巻だったのが鎌倉時代の運慶・快慶の仏像だった。会場はふたつに分かれており第一会場の見所は近頃「重源上人」が快慶に命じて作らせた銘文が発見された「執金剛神立像」(しゅこんごうしんりゅうぞう)だ。以前見た深邪大将と対で近くから露出展示でみると筋肉の表現がすばらしく、ものすごい迫力だった。快慶の四天王もいずれもすばらしく、それぞれのポーズが決まっていた。第二会場に階段で下りると、快慶の「孔雀明王」があり展示空間を圧倒する存在感を放ち、最後の運慶の八大童子の部屋では、おもわずU案内人が興奮し、私の貸した双眼鏡を離さないほど、空間芸術家演出のドラマチックな照明とあいまって、運慶の完成した力量に圧倒された。帰りによった居酒屋で運慶・快慶について多いに語り合った仏像クラブの面々だった。

2014年10月3日金曜日

企画展「仏教美術逍遥」

今週の日曜日に神奈川県立金沢文庫に企画展「仏教美術逍遥」を見に行った。
金沢文庫のツィッターのすすめで、展覧会を見る前に手のひらサイズの図録を購入してみることにした。一階には個人像の天王像と以前話題にになった平泉の中尊寺に似た像がある横須賀大善寺の天王立像が展示されていた。2階にあがると、ちょうどボランティアガイドの説明が始まっており、静かに後をついて鑑賞した。像高わずか50センチにみたない聖観音像が展示されていた。この聖観音像は仏像クラブで訪れたことがある龍華寺所有のもので、最近後補の金泥塗りを落として古色仕上げとなったとのこと。未開封の蓮華にそっと手を添えるポーズは比叡山延暦寺横川中堂安置の聖観音と同じで、平安時代後期の作風をよく表している。他にも金沢文庫に隣接する称名寺の隣にかつてあった海岸尼寺の2メートルを超える十一面観音や龍華寺に伝わる善光寺式阿弥陀も展示されていた。善光寺式阿弥陀の5つの特徴など、ボランティアガイドの説明もわかりやすく小さい会場ながら楽しめた。金沢文庫は残念ながらしばらく休館となるが、学芸員の「仏の瀬谷さん」のワールドに浸って金沢文庫をあとにした。

2014年9月27日土曜日

若狭国分寺の釈迦如来坐像

若狭3日目の3番目に訪れたのが、国分寺だ。車の通りが激しい国道をヒヤヒヤ
しながら国分寺に向った。境内には塀もなく、開放的な寺のたたずまいである。受付にご住職が作務衣姿ででてこられ、本堂に向かい引き戸を開けていただく。真ん中に巨大な釈迦坐像が置かれていた。事前に写真を見ていたときは、ハンサムには到底思えず、見仏記のみうらじゅんのイラストは美化しすぎると思っていたが、実際に見てみると斜め横からの顔がなかなか男前である。木造丈六、寄木造。若狭大仏という異名もある釈迦は光背を背負い、そこに大きな化仏をいくつか付けている。衣には赤が残り、迫力十分の仏像だ。本体は鎌倉時代で頭部は江戸時代の作だ。素朴でのびやかだが、よく見るとヨーロッパ人にも似た顔をしている。魅力的な釈迦如来にうっとりして私はしばらく動けなかった。絵葉書を購入し、親切なご住職に自転車が安心して通れる道を案内いただき、最後の多田寺に向った。

2014年9月23日火曜日

江戸川・江東のふたつの三尺阿弥陀

先週の土曜日仏像クラブで東京下町江戸川区と江東区の二つ阿弥陀如来を見
にでかけた。まず訪れたのが都営地下鉄新宿線の一之江の川向こうにある金蔵寺だ。金蔵寺の開山は室町時代だが、伝来の阿弥陀如来は鎌倉時代前期の作とのこと。一目見て快慶が得意とする三尺阿弥陀の形式だとわかった。快慶工房のだれかが製作したものであろう。金箔が落ちてしまった姿が「法然と親鸞展」で見た浄土宗所蔵の三尺阿弥陀に似ているとU案内人がつぶやいた。私もそう思った。お寺の方のご丁寧な対応に感激し、仏像クラブ一同お礼を言って江東区の因速寺に向った。こちらも三尺阿弥陀で寄木造。衣は黒漆、肉親には快慶得意の金泥塗りが施されていた。修復以前の写真も飾られており、かなり趣が異なるが、金泥塗りの金を抑えた色がよく、ボストン美術館の弥勒菩薩や醍醐寺三宝院の弥勒菩薩を意識して修復がなされたようだ。戦災に見舞われた東京下町で奇跡的に残った二つの阿弥陀如来について昼食を食べたそばやで大いに語り合った仏像クラブの面々だった。

2014年9月13日土曜日

圓照寺の不動明王

若狭2日目の午後に3番目に訪れたのが、圓照寺(えんしょうじ)だ。ここには北
陸で最大の大日如来がある。像高は2メートル半。半丈六の堂々たる平安時代の仏像だ。私が注目したのは本尊近くにある不動明王だ。みうらじゅん氏がベストワン不動明王と言っている、歌舞伎の見得のポーズをとった不動明王だ。出した左足の指でギュッと大地をつかみ、その分右手を腰のあたりに構えて、顔は少し左を見るその姿。ポーズのバランスが完璧だ。見仏記によるとそもそも歌舞伎の見得は仏像から特に不動明王から来ているとのこと。静かな本堂の中一人納得して次のお寺に向った。

2014年9月6日土曜日

仏像のみかた(鎌倉時代編)

8月の最終日である今週、日曜日上野の東博に「仏像のみかた(鎌倉時代
編)」という特別展示を見に行った。おなじみの「菩薩立像」や運慶の「大日如来」の展示だったが、「親と子のギャラリー」との表題がついているように子供向けの解説やわかりやすいように雲にのる観音や波をわたる「渡海文殊」の姿の演出があり、親子で楽しめるような展示だった。また多くの仏像が露出展示で写真撮影ができるようになっており、夏休みの自由研究用に工夫されている。いつも見慣れた仏像も新鮮に見えた。展示作品数も多く11室と14室に分かれていた。この中で私が注目したのは康円作愛染明王の厨子で、諸尊が描かれており興味がつきない。14室の運慶の十二神将を撮影していると、「浄瑠璃寺の関係者と名乗るご婦人に声をかけられ、写真を撮ってもらうことがうれしいとのこと。お寺の方の素直な感想にふれてよかった。法隆寺宝物館がまだ開いていたのでそちらに向かい本館を後にした。

2014年8月30日土曜日

常禅寺の不動明王

おおい町を訪れ最初に向ったのがこの常禅寺だ。おおい町の多くの寺がそ
うであるように、ここ常禅寺も住職がいない無住の寺院で町の組合長の方に連絡を取ってみせてもらう約束をして出かけた。この常禅寺の不動明王を始めて知ったのは仏像クラブを始めてまもないころ、学研の「神仏のかたち不動明王」を購入した際、表紙になっておりずっと気になっていた不動明王だ。おおい町のホームページを調べたときたまたま載っており、今回の旅行の訪問寺院に加えた。収蔵庫をあけてもらうと、像高80センチの力強い不動明王が現れた。平安時代の作で名品揃いの藤原時代の不動明王の中でも佳作に挙げられる。訪れる人も少ないおおい町にこれほどの名品があるのには驚かされる。若狭には藤原氏の荘園があり、中央の影響が濃い多くの仏像がつくられたとのこと。一人で心行くまで不動明王を鑑賞し、おおい町の次のお寺に向った。


2014年8月22日金曜日

神宮寺の薬師如来

若狭3日目は自転車で遠敷(おにゅう)の古寺を巡った。なれない電動自転
車で転びながらたどり着いたのが、神宮寺だ。少しマンガチックな仁王がたつ門をくぐり、緑のまっすぐな参道を進む。ここは奈良のお水取りに使う水を送る寺で、八世紀依頼、綿々と続く儀式に深くかかわっているため、参道もどこか他の寺と違った、おごそかな雰囲気だ。拝観料を払って本堂に向う。こうし戸の中にオレンジ色の照明があるのだが、それでも中は薄暗かった。ずらりと何かが並んでいるのだけがわかる。3日目に予約しないと内陣には入れないが、参拝者のために大きな懐中電灯が用意されていた。目がなれてくると中央に薬師その周りに不動、十一面、十二神将が置かれ、布がかかっているコーナーもあった。ここは典型的な神仏習合の寺で、布の置くには「大神社展」で拝観した男神像と女神像が祀られている。右端には本尊より古い鎌倉時代の御前立ちの薬師如来が祀られている。ガイドブックにものっていたきれいな顔をした薬師如来だが、とにかくうす暗くよく見えない。絵葉書を購入した際、係りの方に場所を聞きなおして再度見に行ったぐらいだ。奈良のお水取りに使うありがたいお水をいただき、寺をあとにした。

2014年8月16日土曜日

妙楽寺の二十四面千手観音

おおい町の仏像を午前中に見て、午後からタクシーで小浜の寺を巡った。羽
賀寺の十一面観音に再会したあと、妙楽寺に向った。ここには白洲正子も絶賛した千手観音がおられる。しかも真数千手といって手が千本あり、頭上には二十一面と顔両脇にある菩薩面と憤怒面とあわせて二十四ものお顔をお持ちになっている。憧れていた写真は外に出したお姿であったが、実際のお寺では狭い厨子に収まっている。そのため両脇のお顔もよく見えない状態だった。うす暗いながら正面のお顔はよく見え、上唇はぽってりと厚く、目はおぼろげ。その視線は妖しく、かつ冷たい。美しさに背筋がぞっとする。みうらじゅん氏によるとフェニックスのように空を飛べる観音というのもうなずける。かつては秘仏だったので文句は言えないが、厨子を出たお姿をじっくり見たかった。お寺で観音の写真を購入し次の寺に向った。

2014年8月7日木曜日

奇跡の千手観音

おおい町で2番目に訪れたのが、意足寺だ。タクシーを降りると御住職がここ
ろよく迎えていただいた。この寺からの連絡は出発の前日にいただき、それまで拝観をあきらめかけていたのだが、ぎりぎりで間に合った。頑丈な収蔵庫のなかに1メートルのこぶりな千手観音がおられた。お顔やお体はどっしりとした存在感があり、頭上の十一面や四十二本の手の表現も見事なものだ。細く小さい手にそれぞれ持物をもち細かな表現をしている。御住職の話では昭和二十八年に台風による山嵐(土砂崩れ)の被害を受け、厨子ごと流されたが、観音様はほとんど無傷で発見され、最後に残った手も土地の古老が偶然見つけたとのはなしだ。御住職も「奇跡としか思えない」とおっしゃっていた。伝教大師最澄作と伝わる千手観音の奇跡に驚き、平安時代から変わらぬお姿に感動して寺をあとにした。

2014年8月5日火曜日

加茂神社の千手観音

小浜の旅の終わりに福井県立若狭歴史博物館に向かった。ここはつい先月リューアルオープンした博物館で、若狭各地の仏像や仏像のレプリカが展示しているコーナーがあり、まさに海の奈良を実感できる展示スペースとなっている。ここで私が注目したのが、加茂神社に伝わる千手観音だ。以前テレビで紹介された秘仏で、ぜひ会いに行きたかった仏像だ。その観音様が博物館で展示されるとの情報を博物館フェイスブックで確認していた。仏像は平安時代のヒノキの一木造の千手観音で重文指定を受けている。とても保存状態がよく千手観音の事物もよく残っている。写真では解らなかったが、肉厚な胸の割に腰が恐ろしく細く奈良聖林寺の十一面観音のようにインドの呼吸法アナパーナサチを表している。これは中央の仏師の作と見て間違いないだろう。小浜が改めて京都文化圏だということを理解できた秘仏だった。

2014年8月4日月曜日

清雲寺の毘沙門天

今日はおおい町にある三ヶ寺を巡って、小浜の寺巡りをしている。愛想のいいタクシーの運転手によると、ほとんど仏像を見に来た人を案内した経験がないとのこと。私はテレビの番組で芸大女子学生の模刻製作の紹介番組を見てから、ずっと会いたかった仏像がここおおいにあることを知って若狭路の旅を計画したぐらいだ。その仏像とは清雲寺の毘沙門天で脇侍に吉祥天と善膩師(ぜんにし)童子を従えている。毘沙門天は細身に造られ派手な意匠で、両手の衣の端、裳は風にひるがえり、目鼻だちは強く引き締まり、写実的な筋骨、憤怒の様相がうかがわれる。番組では脇侍のニ体がクローズアップしていたが、私は断然毘沙門天がかっこよいと思った。管理人の方も毘沙門天が好きらしく、わざわざお寺のスタンプに使っている。素晴らしい仏像との出会いを感謝して、小浜に向かった

2014年8月3日日曜日

金剛院の執金剛神(しゅこんごうしん)

今日から若狭路を巡っている。若狭に入る前にどうしても見たかった仏像を見に行った。それは舞鶴にある古刹金剛院の深沙大将と執金剛神だ。快慶作とはっきりしている仏像だ。お寺の方の説明だと快慶初期の作品とのことだったが、出てきて快慶のサインは安阿弥陀とのこと。ニ体とも1メートルほどの仏像だが、作品の出来は素晴らしい。特に金がよく残っている執金剛神が良かった。宝物殿に座り込んで、いつまでも眺めていたかったが、電車の時間もあるので、お寺を後にした。

2014年8月2日土曜日

南山城の古寺巡礼展⑨

今回の南山城の古寺巡礼展では、写真でも見たことがない、多くの初めて
見ることができた。この海住山寺の薬師如来もそのひとつで、眼球がやや目頭側に寄るようにあらわされている個性的な表情だ。私も行った「書写山円教寺の常行堂の阿弥陀如来(予約していなかったため見逃したが)などを思わせる」と図録の作品解説に書いてあったが、製作は10世紀末ごろだろうか。「TV件仏記」(播州姫路編)で言っていたが、平安時代前期の仏師安鎮(あんちん)の作であろうか。解脱上人定慶以前の「海住山寺」を伝える貴重な仏像だ。その特徴ある表情が気になって印象に残った仏像であった。

2014年7月26日土曜日

南山城の古寺巡礼展(番外編)

今回の京博での「南山城の古寺巡礼展」で唯一見逃した仏像がこの浄瑠璃
寺の薬師如来だ。展示期間が5月の中旬からのため見ることができなかった。そもそもこの薬師如来は浄瑠璃寺の旧本尊で浄瑠璃寺の名前も薬師の浄土である浄瑠璃世界から命名されたものだ。現在はかの有名な九体阿弥陀が本尊になりこの薬師如来は池の対岸の三重塔に納められており、1年のわずかな期間しか拝観することができない。九体阿弥陀の製作時期よりさかのぼるという。いつか眼にしたい仏像だった。

2014年7月20日日曜日

興福院の普賢菩薩

昨日、元箱根の興福院に仏像クラブの面々と出かけた。興福院には平成23
年に鎌倉国宝館で開催された特別展「鎌倉×密教」に出展された普賢菩薩がある。「鎌倉×密教」展には肥後定慶作不動明王を初め多くの仏像が展示されたが、そのなかで印象に残った仏像のひとつで、いつか再会したいと思っていた。生憎の雨模様だったが、お寺のお嫁さんがこころよく弘法堂を開けていただき、ガラスケースに入っている普賢菩薩と対面した。手には経典と剣を持ち髻(もとどり)は運慶の大日如来のように華やかに結い上げることから慶派仏師の作だと思われる。頭と体の大きさのバランスがよく、衣文を波立たせているなど、慶派仏師の力量をよく表している。お堂の中は電気をつけてはいただいたが、うす暗いのが、目がなれたことによりこの仏像の素晴らしさが伝わり思わずうなってしまった。像底の銘文からこの像が普賢菩薩であり肥後定慶活躍時期と近い制作年代であることから、肥後定慶作ではないかと思った。また機会があれば鎌倉国宝館や金沢文庫に出展されることを期待して、お寺を後にした。

2014年7月12日土曜日

南山城の古寺巡礼⑧

今回の南山城の古寺巡礼展では、3年前の秋に出会った仏像たちに多く再
会した。この禅定寺の文殊菩薩騎獅像(もんじゅぼさつきしぞう)もそのひとつで、以前はお寺の収蔵庫に多くの藤原期の仏像郡と一緒に拝観した。今回改めて展覧会で鑑賞するとひとつひとつがじっくり見れてよかった。みうらじゅん氏にいわせると「プリティな獅子」に乗る文殊で、安部文殊院の獅子のように力強さを感じさせない。図録によると象に乗る普賢菩薩(ふげんぼさつ)と一対で現在はその象に大威徳明王が乗っている。そのことは見仏記でもふれていて、さすがと思ったが、今回は重文に外れているため問題の大威徳明王の出展はなかった。今はすべての仏像が寺に戻っているという。何年かしたらまた訪ねに行こうと思った。

2014年7月5日土曜日

南山城の古寺巡礼展⑦

以前、南山城を訪れた際、最後に拝観したのが蟹満寺だった。その創建時
期をめぐって論争が戦わされた蟹満寺の釈迦如来像の斜め後方の段上に安置されていたのが、今回展示されている阿弥陀如来像だ。近年再興なった真新しい本堂にこの小さな阿弥陀如来が安置されていたとは、気がつかなかった。余にも本尊の釈迦如来が大きいので眼にはいらなかったのかもしれない。小像でありながらも量感あふれる力強い像の姿から、平安時代初期の九世紀にさかのぼる像と考えられる。足先まで衣につつんだ姿が慶派仏師に影響を与えたという。慶派仏師が見ていたのはこの仏像の基準となる今はなき薬師如来か。いろいろ想像させる仏像だった。

2014年6月28日土曜日

南山城の古寺巡礼展⑥

今回の「南山城の古寺巡礼」展ではお寺の秘仏が公開されており、中には
1年に一日しか公開されない仏像もある。ここにあげる笠置寺の毘沙門天も秘仏でお寺では普段拝観できない仏像だ。笠置寺は鎌倉時代高僧「解脱上人定慶」にかかわりのある寺院で、県立金沢文庫で開催された「解脱上人定慶」展において、金沢文庫の瀬谷学芸員が今回も出展されている笠置寺曼荼羅図の前で盛んに語っていた寺院だ。この毘沙門天も力強く写実的な作風から鎌倉時代に慶派によって製作されたという。踏まれている邪鬼もとてもユーモラスで、小さくまとまっているのが特徴だ。今後出会うことはないであろう仏像を前にして立ち去りがたい思いを胸にして会場をあとにした。

2014年6月21日土曜日

薬師寺の地蔵菩薩

法隆寺展に物足りなさを感じた私は、その足で東博本館の仏像コーナーが
ある11室に向った。そこで思いがけず地蔵菩薩と再会した。平成24年に県立金沢文庫で開催された「解脱上人貞慶展」で出会った薬師寺の地蔵菩薩だった。東博の11室では入り口から入ったすぐ近くの360度ガラス張りのガラスケースに展示の目玉となる仏像が展示される場合が多いが、今回は薬師寺の地蔵菩薩だった。雲の上の蓮華座(れんげざ)に立ち、左手に宝珠、右手に錫杖(しゃくじょう)を持ち、腰をかがめて歩む姿の地蔵菩薩。その像内には造立願文が納められており、仏師善円(ぜんえん)が造った像とわかる。金沢文庫で見たときは光背がなく展示されていたが、今回は放射線状の光背がついており一目では、以前出会った仏像とは思わなかった。私は再会した仏像を始めて出会ったと感じながら飽くことなくながめて、次の展示へと向った。


2014年6月15日日曜日

南山城の古寺巡礼展⑤

以前、南山城を訪れたとき時間がなく参拝を断念したのが、「神童寺」だ。今
回の展覧会では不動明王・愛染明王・日光・月光菩薩と、4体もの仏像が出展されるという。「南山城の古寺」のコーナーで寿宝寺の千手観音と禅定寺の十一面観音に圧倒されたあと神童寺のコーナーとなってをり、じっくりと鑑賞できた。なかでも気に入ったのがこの「波切白不動尊」と呼ばれる不動明王だ。直立の姿勢と、頭髪が巻髪で不動明王によくみられる弁髪(べんぱつ)を表さず、上唇で下唇を噛む顔つきは、園城寺の黄不動画像に通じるという。神童寺は「北吉野山」という山号が表すように、修験道の流れをくむ寺で、南山城の古寺の中では他の寺とは一線を画す雰囲気が展示品からも伺えた。いつかお寺を訪れようと思い京博を後にした。

2014年6月7日土曜日

法隆寺展

今週の日曜日に上野の東京藝術大学美術館で開催されている「法隆寺展」
に出かけた。法隆寺金堂内に安置されている平安時代の国宝毘沙門天・吉祥天を初めとした多くの寺宝70件が一同に会する20年ぶりの大規模な法隆寺展とのふれこみだった。会場は思ったより人が少なく、静かな環境で見ることができた。法隆寺と東京美術学校のコーナーを抜けると、毘沙門天・吉祥天の展示スペースとなっている。毘沙門天・吉祥天は平安時代後期の優作だが保存状態がよく、当初の彩色や切金がよく残っていた。3Fへエレベーターで進むと、法隆寺の仏像の展示コーナーだった。法隆寺の仏像といえば、金堂にある釈迦三尊や百済観音が余にも有名だが、今回の展示では、くろうと受けする仏像が多かった。お馴染みの菩薩立像や法隆寺西円堂の薬師如来の胎内仏までめずらしい仏像が多かった。中でも私が眼をひいたのが、西円堂の薬師如来の胎内仏だ。藝大の別棟の展示会場では別品の祈り展という法隆寺壁画をCGと映像で表現した展示もありそれを見てから藝大を後にした。

2014年5月31日土曜日

南山城の古寺巡礼展④

今回の展覧会に先立って京都国立博物館は、約3年をかけて南山城の10
箇寺の文化財調査を行ったそうだ。この法性寺の地蔵菩薩はその調査の過程で発見された仏像で、私も見るのが始めてだった。法性寺は海住山寺の子院のひとつで、地蔵菩薩には玉眼が施された鎌倉時代の仏像だ。図録には嵯峨清涼寺の釈迦像を思わせる衣文線が特徴と書かれていたが、私はそのなんとも味のある仏像の表情にひかれた。するどい眼差しながら全体的にはおだやかな表情がよい。京博はよくぞ文化財調査でこのお地蔵様を見つけてくれたと感謝したいくらいだ。魅力的な仏像の展示が多い本展であったが、心に残る地蔵菩薩との出会いであった。

2014年5月24日土曜日

南山城の古寺巡礼展③

以前、南山城を訪れた際、寿宝寺の千手観音にこの展覧会で再会し感動し
たあと私の目をひいたのが、同じ寿宝寺の金剛夜叉明王とこ降三世明王だ。お寺で見た印象はなかったが、あらためて見るとすばらしい仏像だ。特に降三世明王が印象に残った。降三世明王は東寺像に見られるように、足元にシバ神とその烏魔妃(うまひ)を踏みつけており、この像もそのようになっているが、東寺と違うのは烏魔妃が座ったままで頭を踏みつけられているのが珍しかった。平安時代後期の作品で作者の遊び心を感じるいい作品になっている。別のお寺にも不動明王・大威徳明王・軍茶利明王は他の寺にあづけられており、今回の展覧会では当初の姿をよく残したこの仏像が選ばれたようだ。新たな仏像との出会いに感謝し、次のコーナーに向った。

2014年5月17日土曜日

方廣寺の宝冠釈迦如来

今週の日曜日に東博の「新指定国宝・重要文化財展」を見に出かけた。今
回指定された重要文化財のうち、私が注目したのは静岡県浜松市にある方廣寺の宝冠釈迦如来だ。南北朝・室町時代に活躍した院派の作品だ。院派は慶派と並ぶ仏師「定朝」の流れをくむ一派で、平安時代に一世を風靡した仏師集団だ。鎌倉時代に入ると、鎌倉武士に貴族に人気がある院派はきらわれ、奈良仏師の慶派が好まれていたとは、山本勉先生の本を読んで知っていた。南北朝・室町時代に入ると、足利尊氏に重用された「院吉」を初めとした院派が勢いを盛り返した知ったのは、今回の「宝冠釈迦如来」を見てからだ。足利氏に接近した「院吉」が凋落(ちょうらく)の一途を辿りつつあった院派を再生に向わせた記念碑的作品となっている。元は茨城にある佐竹氏の寺から明治になって移された仏像だ。「院吉」は足利家の菩提寺「等持院」の本尊を製作していることから、ここに運慶仏のときにみられる主従が同じ仏師に依頼する密接な関係が見て取れる。普段は光背があり華やかな雰囲気を持つ仏像だが、今回は光背をはずしての展示であったため、より仏像の作品としてのすばらしさが実感できた。私は展示ケースの前で長いこと動くことができなっかた。最後にもう一度釈迦如来を見て東博をあとにした。

2014年5月10日土曜日

南山城の古寺巡礼展②

今回の展覧会にわざわざ京都まで出かけるきっかけになったのが、この浄
瑠璃寺の大日如来だ。慶派の大日如来としては、運慶の円成寺大日如来像があまりにも有名だが、浄瑠璃寺の大日如来は運慶の父康慶の周辺で作成されたと推察される仏像だ。円成寺に比べて、肘の張りなども穏やかで大胆さというよりおとなしい印象を持つ。話によると「せんとくん」の生みの親芸大教授の藪内氏が修復を担当したという。お寺でもめったに見れない大日如来に今回の展覧会で出会えたのは収穫だった。

2014年5月1日木曜日

南山城の古寺巡礼展①

本日「南山城の古寺巡礼展」を見に京都国立博物館まで出かけた。このゴールデンウイークは京都非公開文化財特別公開も開催されており、午前中博物館、午後お寺巡りというコースで計画をたてた。 京都国立博物館ははじめて入るが重厚な造りで趣がある。浄瑠璃寺の大日如来など見るべき展示品があったが、なんと言っても圧巻なのは、禅定寺の十一面観音と寿宝寺の千手観音の巨像のコーナーで迫力がある。中でも千手観音が素晴らしかった。興奮冷めやらぬまま会場を後にした。

2014年4月26日土曜日

観音の里の祈りとくらし展④(善隆寺和倉堂の十一面観音)

私が近江の観音めぐりをするきっかけとなったのが、滋賀県観光協会の「神
仏います近江」というWEBサイトだった。近江の仏像の写真がたくさん載っており、その中で私が憧れたのが、善隆寺和倉堂の十一面観音だ。像高1メートル小さめな仏像だが、写真では大きく見えた。この仏像がある和倉堂は長浜市西浅井にあり、冬には豪雪に見舞われる地域だという。端正な顔立ち、均整のとれたプロポーション、整然と等間隔・同心円に配置された衣文線により、体の奥行感があるにもかかわらず、軽やかさすら感じさせる。ガラスケース越しだったが、私は飽くことなく十一面観音を見つめていた。

2014年4月19日土曜日

観音の里祈りとくらし展③(大浦腹帯観音)

今回の展覧会でひときは異彩を放っていたのが、この大浦腹帯観音だ。平
安時代の作だが、なんといっても腹の安産祈願の帯が特徴的だ。調べてみると地域の妊婦さんたちが、丈夫なこどもが産まれますようにと願って腹帯をまいたという。像高150センチ余と大きく、写真集で見るより綺麗なお顔の観音様で宝冠が見事だ。皇室ともゆかりがあり、美智子皇后や雅子皇太子妃出産のおり腹帯を送って感謝状をいただいたとのこと。その後盗難にあうなどしたが無事見つかり今にいたっている。普段は北近江の大浦の集落にひっそりとまつらているが、この展覧会のためにわざわざお出ましになった。私はあくことなく観音さまをながめていた。

2014年4月13日日曜日

厚木金剛寺の阿弥陀如来

先週の日曜日桜満開の厚木市飯山観音の近くにある金剛寺で阿弥陀如来
のご開帳があり、仏像クラブで出かけた。先に飯山観音に参拝したが、坂東三十三札所でもここではご開帳はなく、本尊は絶対秘仏のため見られなかった。でも高台の境内から眺める桜はすばらしく、祭りでにぎわう境内を抜け静かな金剛寺に向った。入り口にはボランティアガイドの方がおり説明いただいた。収蔵庫に守られた国重要文化財の本尊阿弥陀如来が半分開けられた扉から見えた。文化庁の方針を厳格に守っているため、扉が半分しか開けられないそうだ。阿弥陀如来は像高139.3センチで資料の写真よりどっしりとおちついた感じの定朝様式の仏像だ。室町時代から江戸時代にかけてたびたび修復が施されているが、像様に変化はなく平安時代後期の仏像様式を今に伝えていた。金剛寺には鎌倉時代に製作された地蔵菩薩もあり、観光の寺ではないので中に入って拝むことはできなかったが、ガラス窓越しに拝むことはできた。仏像クラブの面々もいつもより静か目に拝観した。余計な雑音がないためより仏像と深く向き合えた。ボランティアガイドの方にあいさつして静かに寺をあとにした仏像クラブの面々だった。

2014年4月5日土曜日

観音の里の祈りとくらし展②(丁野観音堂の十一面観音)

今回の「観音の里の祈りとくらし展」で1番印象に残ったのが岡本神社に隣
接する丁野(ようの)観音堂の十一面観音だ。全国的にも珍しい6臂(ろっぴ)の坐像の観音で平安時代の作。岡本神社は長浜市小谷にあり、あの戦国大名浅井長政の居城があったところからほど近い。観音像の背中の大きな割れは織田と浅井・朝倉連合軍が激突した姉川の合戦のおり、村人が避難させた際誤って落としたときできたという。像高は1メートルあまりと坐像としては大きく、髻を結い炎髪の忿怒相を表す頂上面と頭上面十面を配する。図録によると観音堂は住職を置かないため、「宮世話」と呼ばれる村人の組織が観音様を守っている。まさに今回の展覧会のテーマにふさわしい観音様だ。浅井の旧臣という気概をもって村人が交代に守っているという。穏やかで端正な顔立ちがその歴史を感じさせる仏像だった。

2014年3月29日土曜日

法隆寺宝物館(伎楽面)

藝大の「観音の里の祈りとくらし展」を拝観したあと、東博の法隆寺宝物館
に向った。法隆寺宝物館には1年前の冬と先月訪れたが、第三室の伎楽面(ぎがくめん)が保存のためいつも閉まっており、今回は年3回の貴重な公開日であったため、初めて第三室に入った。会場は思ったよりも明るく1400年前から伝わる法隆寺の宝物をじっくり鑑賞できた。またちょうどタイミングよくボランティアガイドの説明と出くわしより深く理解できた。伎楽とは大型の仮面をつけ、寸劇を交えながら、音楽とともに野外を練り歩くという仏教の儀式で、昨年いった當麻寺では今でも行われている「練り供養」として残っている仏教儀式だ。法隆寺の伎楽面は東大寺や正倉院より古く、7世紀にさかのぼるのはこの伎楽面だけだ。伎楽面はどれも思ったより大きく中には縦40センチぐらいのものもありヘルメットのように後頭部までつくられている。中でも印象に残ったのが、「崑崙」(こんろん)で説明によると美人の呉女にいいよって卑わいな振る舞いをしたために、力士にこらしめられる役を演じたらしい。他にもユニークな面が揃っていて興味がつきない。また訪れたいと思った。

2014年3月22日土曜日

観音の里の祈りとくらし展

本日(3月21日)東京上野の藝大美術館に「観音の里の祈りとくらし展」を見
に行った。滋賀県の仏像展は何回か行っているが、今回は長浜市主催の展覧会とのことで、北近江の観音様だけの展覧会となっている。白洲正子や井上靖など多くの作家・文化人を魅了してやまない、北近江の観音様は国宝の渡源寺十一面観音や村の娘さんのような石堂寺十一面観音など魅力的な観音様が多い。長浜市だけで100を超える観音様がおられるため、一般にはあまり知られていない観音様も多く、今回の出展一覧にも写真でも見たことない観音様があり、事前準備の必要性を感じた。浜松町の滋賀県アンテナショップで観音の特集が記載された機関紙などを購入してから展覧会に出かけた。会場では赤後寺の千手観音が正面中央に控え、奈良時代の木心乾漆(もくしんかんしつ)の菅山寺十一面観音や総持寺の千手観音など大小18体の観音様がところせましと展示されていた。なかでもよかったのが岡本神社の坐像の十一面観音だ。会場では大画面に北近江の観音様と人々の思いが伝わるVTRが流れており、よりいっそう興味が持てた。いつまでもいたい、気持ちを抑えつつ会場をあとにした。

2014年3月15日土曜日

法隆寺宝物館(半跏思惟の仏N156)

昨年の冬、訪れた法隆寺宝物館に一年ぶりに先月訪問した。この半跏思惟
像は東博のホームページに写真が掲載されていたもので、今回注目した仏像のひとつだ。台座の銘文により製作年代が飛鳥か白鳳期の製作と二つの説があるが、私はあえて飛鳥時代を押したい。飛鳥時代の早い時期に製作され、同じ時代の中宮寺「菩薩半跏思惟像」や広隆寺の「弥勒菩薩」に影響をあたえたのではないだろうか。右手の指先を頬にそえ、右足を左膝ににのせて何か考える姿の菩薩像を菩薩半跏像あるいは半跏思惟像という。この姿の像はインドや中国では釈迦の出家前であるシッダルタ王子の姿だといわれている。朝鮮半島・三国時代の仏像からの影響をうけ、胴と腕が異様に細く作られている。今回もVR阿修羅像の上映時間がせまっていたので早めに宝物館をでて帰りにミュージアムショップにて法隆寺宝物館の名品ガイドを購入した。48体仏は数が多いので、これからは見たい仏像をこのガイドで調べてから行こうと思った。

2014年3月9日日曜日

弘明寺の十一面観音

本日(3月8日)仏像クラブで初めて弘明寺を訪れた。年末の仏像クラブの忘
年会のおりにぜひ拝観したいと会員の中から意見があり、急遽計画した鑑賞会だ。調べてみると、弘明寺は坂東三十三ケ所観音札所のひとつで今年は午年大開帳とのこと。本堂入り口で拝観料を払い記念のミサンガのような縄をいただき、観音様の前に向った。目の前に鉈彫りの十一面観音が厨子のガラス越しに見えた。係りの方によると普段は直接拝観できるが、文化庁の担当者が来るため本日は締めているとのこと。ガラス越しにもすばらしさは十分伝わった。像高180センチと思ったより大きく、鉈彫りが見事だ。彫りかけた途中で手を止めたかようなノミ目を意図的に残す鉈彫り表現の初期の傑作だ。とても穏やかな顔つきで、心和ませてくれる。鉈彫りが登場したのは平安中期で、定朝に代表されるような温和な作風へと、人々の好みが移ったころに製作されたからだという。心穏やかになり本堂を出た仏像クラブの面々であった。

2014年3月1日土曜日

VR作品興福寺国宝阿修羅像

今週の日曜日,東博に「VR作品興福寺国宝阿修羅像」を鑑賞しに行った。
東洋館の地下一階にある「TNM&TOPPANミュージアムシアター」では大スクリーンにバーチャルリアリティな阿修羅や八部衆が映し出され、ナビーゲーターと呼ばれる語り手の説明により映像を鑑賞する仕掛けとなっている。スクリーンに映し出された「阿修羅」は本物と見まごうばかりに精巧にできているのには驚いた。2009年に「国宝阿修羅展」で流していた阿修羅VR作品の20分バージョンより、格段と技術が進歩して40分バージョンになっている。またナビゲータのゆっくりとしたおちついた解説がここちよく、阿修羅や八部衆の世界にどっぷりと浸かれた。ナビゲータの説明で阿修羅の3つの顔の表情は自分の過ちを仏に懺悔(ざんげ)し、内面を見つめ、仏教に帰依することを決意するという心の変化を表しているとか。阿修羅像には熱心な仏教徒であった光明皇后の最愛の母への思いと心のよりどころとした「金光明最勝王経(こんこうみょうさいしょうおうきょう)」の教えが表れていることなどが語られた。欲を言えば阿修羅や八部衆の童子形の理由がわずか1歳で亡くした「基(もとい)皇子」への光明皇后の思いが重ねられていることが語られればよかった。VR作品を見終わってここちよい余韻にしたりながらミュージアムシアターを後にした。

2014年2月22日土曜日

広隆寺の十二神将

平成20年にU案内人と京都の広隆寺を訪れたが、その際出会ったのがこ
の十二神将だった。日光菩薩、月光菩薩の両脇に6体ずつ分けられていた。技術の光る戦いより舞踊(ぶよう)を感じさせる十二神将だ。これは大仏師定朝の息子覚助(かくじょ)と共に活躍した一番弟子長勢(ちょうせい)の作と伝えられている。なかでも「安底羅大将」は目を細めて矢を持つ姿が新薬師寺の頞你羅(あにら)大将を意識した造りとなっている。しかし平安時代後期のこの作品は当時の神将形の特徴である温和な憤怒相(ふんぬそう)と、激しい動きを抑えた姿勢を刻み、頭髪、甲冑に変化をつけ、漆(うるし)と彩色を交えて優美に装飾されている。いずれも国宝で円派の祖である長勢の数少ない遺作のひとつである。広隆寺は有名弥勒菩薩ばかりでなく他にも多くのみるべきものがたくさんある。大満足してその場を後にして宿に向った。